蟹座に学ぶ色々 - Things learned from Cancer -

■第4章 病気発生のメカニズム (Contents)

 前章までにおいて、私達ヒトがどのような過程を経て出来上がってきたか?また、ヒトという生物、個体が生きるためにどのようなからくりを身についけているかを述べました。 「■体の健康について学ぶ」の章においてヒトを構成する器官の話をしましたが、本HPや参照先のHPを一見してわかる通り、 その仕組みは実に巧妙で、精巧なものです。 パッと「パーフェクト!」なんて絶賛したくなりますが本当にパーフェクトなのでしょうか? この疑問の奥には私達ヒトが歩んできた歴史的背景、つまり現在のヒトができあがるまでに辿ってきた 進化のメカニズムが強く絡んできます。本HPの序盤に「■生物、人間を学ぶ」という章を構成し、生物の進化について触れたのもこのような背景からです。
 私が「なぜ病気になったのだろう?」「そもそも病気はなぜ起こるのだろう?」という疑問を持ち色々勉強しましたが、生物の進化的背景が重要であると思うようになったのはある一冊の本との 出会いからです。[Randolph M Nesse (M.D.) & George C. Williams (Ph.D.)共著の Why we get sick(ランドルフ.M.ネシー、ジョージ.C.ウィリアムス 病気はなぜあるのか)]という本です。
 この本の切り口は病気というものの捕らえ方について、私達のほとんどが疑いなく信用する”医師”が語ることの無い新たな知見を与えてくれました。
 本章では病気の一般的な定義をはじめ、上記の本などから得た知識をもとに、病気について諸々を記していこうと思います。

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◆病気とは?

 「病気とは?」というキーワードをもとに一般的な定義を調べてみると、下記のような表記が記載されています。
@生物の全身または一部に生理状態の異常を来し、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象。やまい、疾病、疾患。(広辞苑)
A健康でない状態。(WHOの“健康”についての定義を借りると、[何事に対しても前向きの姿勢で取り組めるような、 精神および肉体、さらに社会的にも適応していない状態]となるのか?)
B(東洋医学的見解:私はまだこれについて語れる知識を有していませんので、現段階では割愛させていただきます。そもそも東洋医学においては、 生命の活動自体を「気・血・水」「陰・陽・虚・実・表・裏・寒・熱」等の分類に分けて、その過剰・不足を証をとるというかたちで診断し病かどうかを判断します。 ある部分の証が体のバランスの崩れを示していても、その人の症状に現れなければ未病というステータスになります。 この段階でバランスをもとに戻せれば何事も無くまた健康になり、更に行き過ぎると発症するという結果になるのだと思いますが、では、“健康でない状態とは?” という質問に対し単にどういう状態かと言われると、う〜ん、難しい・・・・・。  「■体の健康について学ぶ」の章でヒトの各器官で営まれる生理現象は無数のフィードバック機構によって維持されていることを記述しましたが、 そもそも生きているという現象自体がバランスの崩れを生じさせ、それをもとに戻そうとする営みであるめに、どれくらいある状態から逸脱したら病気や発病前の状態か? という疑問が生じます。西洋医学のような科学的な見解をベースにした解釈では物語れない奥深さがあります。  勉強を重ねて自分なりに納得がいく説明ができるようになった時に追記していこうと思います。)

 上記のように、掘り下げていくととても奥深いものになってしまいます。上記を解釈すると、「生物の一個体として、その個体が有するシステムの全体、 または一部に異常を来し正常な機能が営めない状態となること」だと思います。

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◆なぜ病気になるのか?(総論)

 ●序節

 なぜ病気になるの?という問いかけに対し、前節で記した病気の定義から現代医学(西洋医学)よりの表現をすると、@ある器官が機能不全を有するとか、 Aその器官に供給されるべき物質伝播が起こらないとか、“各器官に起こっている本来あるべき状態から逸脱している状態”が答えとして出されます。 後でも述べますが、何が、どのように悪いという解釈です。

ここで、例えば、腹痛になって病院に行ったことを想定してみましょう。
―――想定1 (腹痛)―――
@あなたは病院に行き、医師の診察を受けます。医師はあなたの表情を見たり、問診をしたり、触診、聴診など一通りの検査をして、 どうやら胃に問題がありそうだという感触を得ました。
A「念のため胃カメラを呑んでみましょう!」 医師が言います。あなたも同意し胃カメラを呑んでみました。 カメラの画像を見て医師は胃に小さな潰瘍があることを発見しました。原因はこの潰瘍に間違いないようです。
B胃カメラ検査によって、あなたの胃は粘膜層が荒れて弱くなり、胃酸にやられて潰瘍ができてしまったことが明らかになりました。
C対策としてa)粘膜を保護する薬、b)胃酸分泌抑制剤などを処方してもらいました。
Dしばらくの間、薬を飲んで規則正しい生活をしていると腹痛も治まり、あなたはまた調子よくなりました。
てな具合でしょうか...

 私は、エンジニア稼業に従事していましたので、ある機械の故障を例えてみます(人と機械とを関連付けることはあまり好ましくないかもしれませんが)。 その機械はモーターにカムがついていてある特定の動きを出すものですが、不調で「キーキーキーキー」異音を放っています。
―――想定2 (機械の異音)―――
@この機械はモーターにカムが付いていて、カムがクランクを押し上げることによってクランクの先の治具を動かします。治具の先には重量のある負荷がかかるため、 カムとクランクの接触部にはいつも油が注がれるように給油ポンプが付いています。
Aキーキーなる異音の発生場所を探ると、どうやらカムとクランクの接触部から発生しているようです。動いている機械を観察すると、 カムとクランクの接触部に給油するポンプからオイルが出ていないことがわかりました。
Bオイルの給油ポンプは正常に動作していますが、オイルの吸引口からはオイルがうまく吸い上げられていないようです。
Cそこで機械を止めて、給油ポンプの配管とポンプの内部を確認してみました。
Dすると、ポンプの配管が閉塞していてオイルがうまく流れないことがわかりました。
E対策として、ポンプの配管を交換してオイルの循環の滞りを改善し、再度機械を稼動すると、カムとクランクの接触部にはオイルがうまく注がれ、 機械から発生していたキーキー音も出なくなりました。
 てな具合でしょうか...

 上記の二つの例えは、病気の原因や不調の原因について記したものですがどちらも納得がいく答えです。でも、なぜ病気になったの? なぜ不調になったの? といった問いかけに対する答えはこれだけでしょうか? 前述の説明では、体やシステムの不調の原因(直接的な不調部位の状態)を特定してはいますが、 そもそも何でそういう事態になったのか?というところについては何も考えられていません。皆さんおわかりですか?
 想定1の腹痛の例では、腹痛の原因が胃潰瘍であることがはっきりしましたが、では何で胃潰瘍になったのでしょうか?ここの部分が考えられていないわけです。 また、想定2においてもキーキー異音の原因が給油配管の閉塞であることがわかりましたが、何で給油配管が閉塞してしまったか?という部分が考えられていないのです。

 ここで話が病気に関することから少し脱線しますが、製造業界における機械の故障に対する最近の考え方がとても参考になるので少し記述させてください。

 一昔前の製造業においては色々な工程で手作業も多く、導入される機械もある一つの工程を担当するという目的のものが多数でした。 このような背景から機械が停止してしまっても工場としては手作業で補ったり、他の工程の調整をするなどの余裕部分があり、機械が故障した場合は“いち早く故障を修理して再び立ち上げれば良い!” という考え方が主流でした。従って機械の保全に関する思想も原因の追究よりは故障の対処の方に重点がおかれ、正に上述の想定2のようなサイクルを“如何に早くこなすか”ということが重要課題でした。
 ところが、技術革新にあわせて、工程の省人化や自動化がどんどん進み、機械が担う役割も工程の大部分というような事象になってきた昨今は、機械の故障=工場の停止ともいえる重要事態となり、 もはや機械の故障が許されないという思想が一般的になってきました。(注釈:産業界によっては、発電所、化学プラント、飛行機、等等、昔から故障が許されないという業種が沢山あります。 ここでは、昔から故障しないように冗長化システムの導入や、保全方法等で様々な工夫がなされていた事は十分に承知していますが、ここでの例えはあくまで手作業の部分が自動化されてきた業界の 一例を取り上げていますので、その旨了承ください。)
 すると、想定2で記した故障に関しても、「給油配管が閉塞してしまったことがわかった」ということに加えて、「何で給油配管が閉塞してしまったのか?」という部分にも踏み込んで、 例えば@給油配管に流れる油に小さな塵が混ざっている→配管入り口にフィルターをつける、A配管の温度が低く油の粘性が上がって皮膜を作ってしまった→配管を保温する等、 システム全体を捉えて故障しない設計、運用を行う必要性が出てきたわけです。
 ここでは機械の故障の例だけを挙げてみましたが、工場では使用する原料から、各工程における完成品の品質、機械の設計、運用、保全などなどを総合的に高品質にする トータルクオリティマネージメント(TQM)が重要視されるようになったのです。つまり、工場の各部(人を一つの工場とすると各器官)において最適な状態を維持する活動が重要であるという思想が 当たり前になっているわけです。

 では話を人に戻します。
 想定1の例では腹痛(胃潰瘍)にかかって病院に行ったときの例ですが、胃潰瘍にかかったヒトはそもそもどのようなものなのでしょう? 「■体の健康について学ぶ」で学んだようにヒトは精巧で複雑な器官をたくさん備えた生物です。 胃潰瘍は胃の粘膜が弱って胃液(塩酸)が胃を構成する組織自体を破壊してしまうことから 発生するとされますが(あくまで一例です。他にピロリ菌、薬物投与などによる胃粘膜血流低下などもあります。)、 一方で胃には胃液による粘膜破壊を防ぐために粘液細胞からはムチンが分泌され内壁を保護するという機能も有しています。 では、このような機能を有していながら何で胃潰瘍になってしまったのでしょうか?
 こう考えると難しいですよね。現代医学では○○という病は○○という機序が原因だ、というようにすでに明らかになった機序をもとに対処法を考え治療しますが、 一歩下がって考えてみるとその機序がなぜ起こるのかという部分についてはあまりよく考えられていない部分が多いのです。つまり、ヒトの体全体を捉えた治療がなされていない! と言い切ってもいいのが現状なのです。それくらいヒトの中身、メカニズムは複雑怪奇ということです。医者にかかろうとすると、脳外科、循環器科、胃腸器科、内科、耳鼻咽喉科、外科、 精神科、神経科、等等と無数に分科されて、”どこに行って良いのやら”なんてことも。ここでは、現在の医者を欠陥多大!という主張に聞こえるかもしれませんが、 反面利点も多々あって、このように分科されている背景には、それぞれの科において非常に専門的な知識と技術を擁して、その部の難しい疾患に対応できるということも言えるのです。 病気の原因によって、この様な専門的な体制の医療が吉と出ることも事実ですが、そうでないこともあるのです。後で述べますが、 私たちヒトにおいてもその全体を考慮に入れるということは非常に大切なことなのです。
 では、色々な病気で悩むヒトでありますが、その生体の正直なところは如何なものなのでしょうか?
 「■生物、人間を学ぶ」の章において生物の進化について触れましたが、 私たちヒトは他の生物と同様にダーウィンさんが提唱した進化論の原理にもとづいて今日に至っていることは間違いないようです。 この自然淘汰の原理に基づいて進化してきた私たちの体には、以下のような高性能と劣悪性能の矛盾があるわけです。
参考文献“病気はなぜあるのか”(ランドルフ.M.ネシー、ジョージ.C.ウィリアムス共著)の中では下記のような例が紹介されています。

 @ヒトは目や脳、心臓など高精度な器官を構成する機能を持っていながら、なぜ先天的な近視、アルツハイマー病、心臓発作など防ぐ機能を持っていないのか?
 A免疫系では、何百万という異種たんぱく質を認識して排除できるのに、なぜ細菌やウィルスが感染して肺炎になるのか?
 B日焼けが皮膚癌になる危険や、脂肪が心疾患に繋がるとわかっていながら、なぜ日光浴を好んだり、脂肪の多い食事を好むか?
確かにそういわれるとその通りです。
 また、この本においてはヒトの生体に関して、精巧な例、粗雑な例についてもいくつかの項目が挙げられています。

 ◆ヒトにおいて精巧な例 (“病気はなぜあるのか”を参照)
 @骨の構造
 ・骨の筒型の形は、強度を最大化する一方、重量を最小化する構造を有している。(単位重量あたりの強度は純粋の鋼より強い)
 ・繊細な神経、動脈が通るところには溝がちゃんとあって安全な通路を提供している。  等
 A生理的器官 (腎臓と人工腎臓、心臓と人工心臓 の例)
 ・冷蔵庫程の大きさの人工透析機でも、本物の腎臓の機能のほんの少しの性能しかない。
 ・人工心臓胃弁はほんの数年の寿命しかないのに、弁が閉じるたびにいくつかの血球を押しつぶす。一方本物の心臓は一生の間に25億回も静かに開閉する。
 B視覚のメカニズム
 ・ある物の像が目の網膜に投影されると、それぞれの細胞が視神経を通じて投影像の情報を脳の中枢に送り、そこでは形、色、動きが解読され、何の像か判断する。 それが蛇だと判断されればその中枢からの信号は恐れの中枢と行動を動機づけ、行動を起こさせる決断の中枢に信号を送る。そこから運動神経に信号が送られ適正な筋肉を収縮させ、 手を引っ込めるという行動に繋げる。これが一瞬で起こる。

 ◆ヒトにおいて粗雑の例 (“病気はなぜあるのか”を参照)
 @気管と食道
 ・胃に食物を運ぶ食道は、肺に空気を運ぶ器官と喉で交差しているので、私達は食べ物をゴクンと飲み込むたびに窒息しないために肺に通じる気道を閉じなければならない。 (そもそも鼻から息を吸って肺に、口から物を食べて胃に運ぶのだったらあえて喉で管を交差させる必要がない。 この交差があるために、お正月におじいさんやおばあさんがお餅を食べて大変なことになりますよね。)
 Aつわり
 ・将来母親になる人が、育ちつつある赤ん坊に栄養を与える重負荷を負っている最中に、なぜ吐き気、嘔吐によって苦しめられなければならないか?
 B免疫疾患(アレルギー、膠原病)
 ・体内に侵入するウィルス、細菌などを攻撃する大変有用な免疫システムであるが、なぜ花粉を見逃してくれないか? また、私たち自身を攻撃するリウマチ、膠原病などが起こってしまうか?
 C男性と女性の不調和
 ・男性と女性の性的な反応は不調和で、お互いが最大の快感を得られるようにできていないか?
 D果てない欲求
 ・何かを成し遂げたときの喜びは長続きせず、更に到達したい何かに対する欲望を感じるのか?

 上の例からもわかる様に、人は現在のハイテク技術が足元にも及ばない精巧な器官も有する一方、重大な設計ミスも併せ持った生命システムであるわけです。生物の三大欲求であった@子供がほしい、 A飯が食いたい、B長生きしたいということを遂行するにあたって、理にかなったハイテクと、必要の無い欠陥が合い備わっているのです。 このようなシステムにおいて現実に病気が起こるのですから、なぜ病気になるのか?(欠陥、故障が起こるのか?)ということを検討するとき、@何がどのように悪い という事象だけを考えるのではなく、 Aなぜそのように悪くなったのか? ということまで考えていかないと本質的な改善には繋がらない訳です。つまり、全体性が大切なのです。
(前述の想定2の機械の例で言えば、オイルを供給するパイプが閉塞していたことがわかってパイプを交換することで元に戻っても、なぜ閉塞したかわからないと再びパイプが詰まってしまいますよね。 ですから、パイプが閉塞する原因は何か?ということまで視野を広げ、システム全体を理解する必要があるということです。)

 次節ではこのようなヒトとしての全体性ということを視野に入れ、なぜ病気になるのかという疑問について考えていきます。

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 ●統合的な観点から見る病気になる要因

 この節でも文献“病気はなぜあるのか”の内容を参考にさせていただきます。この本の筆者(ランドルフ.M.ネシーさんと、ジョージ.C.ウィリアムスさん)は、 ヒトが今日の姿にまで進化してきた進化論的な背景を踏まえて、病気の原因となりゆる事象を次に記す項目に分類しています。@防御、A感染、B新しい環境、C遺伝子、 D設計上の妥協と進化の遺産です。 本節においては、これら各項目について簡単に説明していきます。


−防御−

 参考文献において、肺炎を例にヒトの防御の機構を説明しています。肺炎(という病気)になると、次のような症状が出ると一般的に言われています。発熱、咳が出る、 酸欠で表情が青ざめる(チアノーゼ)、等等です。 これらの症状は普段の私たちの体調から逸脱した状態となり、つまり病気として扱われるわけです。私達は仮にこの病気にかかると、 これら症状を何とかしようと医師の診療を受けますが、この症状には大きく2つの事象が混ざっています。
 一つは欠陥があることの現れの症状、もう一つは防御です。

☆☆☆ 欠陥があることの現れ ☆☆☆
 前述の肺炎の症状のうち、チアノーゼについては体に欠陥があることの現れが偶然このような症状として現れます。チアノーゼは肺炎になったことで肺の機能が低下し、 血液と外気のガス交換がうまく行われなくなった結果血中の酸素分圧が低下し、血液中の酸素を運搬するヘモグロビン中の酸素量も減少するため、ヘモグロビンの色が通常より黒っぽくなることで起こります。 いわば、モーターが回転するから軸受けから摩擦音が発生するといった、ある事象が起こっていることによって偶発的に発生している現象です。

☆☆☆ 防御 ☆☆☆
 前述した肺炎の症状のうち、咳が出るについては、私たちのヒトの体においてあらかじめプログラムされた防御反応になります。咳をすることは、横隔膜、胸筋、喉頭がうまく連動して粘膜や異物を喉に押し上げ、 痰として体外に排出したり、ゴクンと飲み込むことで食道から胃に運んで胃酸で細菌を殺してしまいます。これは自然淘汰の結果生まれた調和のとれた防御の働きです。 (発熱についても、細菌やウィルスなどに対する防御の働きということが出来ます。)

 上述した(a)欠陥があることの表れの例、(b)防御の例について、両方とも病的所見として取り扱われますが、文献“病気はなぜあるのか”では次のような警鐘を鳴らしています。 (a)欠陥があることの表れについてはこれら症状を排除してしまっても何ら問題がありません。ある事象が起こっていることによって偶発的に発生している現象なので、 これらを排除することはいい方向に向かう面が多いと推測されます。モーターの摩擦音の例を併記しましたが、摩擦音は無いにこしたことが無いのと同様、特に必要が無いわけです。しかしながら、 (b)防御についてはこれとは異なります。防御は体の中の異常に対してそれを排除しようとした結果現われる反応であり、文献“病気はなぜあるのか”では自動車のガソリンタンクの残量警告灯に例えています。 自動車のガソリンタンクの燃料残量が減ると、残量警告灯が表示されますがこれはガソリンがもうすぐなくなる旨の事象を知らせるという目的で動作します。この警告灯を作動させないようにすると、 ドライバーはガス欠に気づかずに車は止まってしまうでしょう。同様に肺炎の際に過度に咳を止める行為をしてしまうと、肺内の細菌、ウィルス、異物等を排出することができず、 下手をすれば異物が蔓延して死の危険すら出てくるのです。
 治療の手段を選択する際はこれらを踏まえて慎重に行う必要性があるのです。風邪の症状で、発熱、咳、痰が出ていて病院に行き、薬を処方してくださいというと、解熱剤、咳止め薬、痰の抑制剤というように その症状に対する拮抗剤が処方されます。でも、この防御のことを考えてみると、解熱剤、咳止め薬、痰の抑制剤については私たちが有する防御機構を抑制するもので実は本末転倒のものなのです。 (注意:こうは言いましたが、これら薬が有効なケースもあります。発熱が軽度ならば、これは感染した細菌等に対する防御ですので解熱剤は防御のメカニズムを妨げるものとなります。しかし、 発熱が重度の場合は話が違います。細胞を構成するたんぱく質は42度を超えると組成変形を起こし、この結果細胞死が起こります。このような場合はむしろ熱を下げてやらないと私達は死に至る可能性があるわけです。 症状に対して何らかの処置をとるとうことは、結構奥深いものなのです。)

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−感染−

 「■生物、人間を学ぶ」の章において、私達ヒトをはじめ、この地球上に存在する生命体すべてが始原細胞から始まり自然淘汰のメカニズムに基づいて 進化してきた旨の話をしました。この地球上では、存在するすべての種が生命の三大欲求を遂行するため様々な工夫をしています。
 例えばライオンという肉食動物がシマウマという草食動物を捕獲してその肉を食べるという行動は、ライオンという種が“飯が食いたい”という三大欲求を満たすために起こした行動ということになります。 これと同類の行動ですが、細菌やウィルスなどの種が、“飯が食いたい”、“子供がほしい”という目的で他の種の体内に入り込むという行動は、入り込まれた生物からみて感染という結果になります。 つまり、この地球上というフィールドで生活している以上、無菌室などの隔離環境にでもいない限りは感染ということは起こって当然の事象ということになります。
 細菌類やウィルスの種にとってみても、生物の三大欲求を満たすために必死に生きているわけです。そのため細菌やウィルスなどは様々な工夫をしています。いくつかの例を挙げてみます。

☆☆☆ マラリア ☆☆☆
 マラリアは熱帯、亜熱帯地域で流行する病気で、マラリア原虫という単細胞生物が感染することにより起こる病気です。発症すると40度を超える高熱が出ます。マラリア原虫はハマダラカという蚊を宿主として 有性生殖を行い増殖します。ハマダラカにおいて増殖したマラリア原虫は蚊の唾液腺に集まる性質を持ち、ヒトや他の脊椎動物の血を吸う際に唾液腺から分泌される唾液に混じって蚊の標的となった脊椎動物に感染します。 脊椎動物に注入された原虫は血液中の赤血球に寄生して増殖し、また別のハマダラカが血を吸う際に脊椎動物から蚊へと移るというからくりで自らの子孫を残そうとします。マラリア原虫は、 ハマダラカを終宿主として自らの子孫を増殖させるために、蚊が餌とする血液を得るために標的とする脊椎動物を中間宿主として利用する術を得ているわけです。

☆☆☆ 狂犬病 ☆☆☆
 狂犬病は、犬や動物だけの病気ではなく、ヒトを含めた全ての哺乳類が感染する病気です。発病すると、感覚器に与えられた刺激を機に痙攣等を起こすなどの悲惨な神経症状を示してほぼ100%死亡する ウィルス性の人獣共通感染症です。
 狂犬病の病原体はウィルスで、主に発病動物に噛まれ、唾液中に排出されるウィルスが傷口より体内に侵入することにより伝播されます。体内に侵入したウィルスは、末梢神経を介して中枢神経組織に達し、 そこで大量に増えてさらに各神経組織へ伝わり、唾液腺で増殖します。発病したヒトや動物は咽喉頭の麻痺により唾液を飲み込むことが出来ず、結果としてウィルスは唾液と共に体外に排泄されることになります。 また、物事に極めて過敏になり、狂躁状態となって、動物では目の前にあるもの全てに噛みつくことになります。
 つまり、狂犬病ウィルスは自らの子孫繁栄のために、感染した宿主の中枢神経を犯してガブガブと噛み付く癖付けをしてしまい、噛んだ宿主から新たな宿主へという具合に伝播させる術を得たウィルスということができます。 (たかがウィルスと思いきや、とても強かです。)

 上記はほんの数例ですが、細菌やウィルスも宿主の性質を利用したり、宿主の行動さえ支配して自らの子孫を残そうとしているわけであります。私達の日頃の生活においては医療や衛生面などが良く管理されて このような病気がはびこっているという認識が薄いのですが、地球という一つのフィールドにおかれたすべての生物は、正にサバイバル戦争の真っ只中におかれているのです。

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−新しい環境−

 「■生物、人間を学ぶ」の章において人類の進化について触れましたが、さて現代のヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)の形態に進化したのは 何年前か覚えていますか? 正解は35万年前と推定されています。現代人は硬いものを食べないから顎が小さくなった、というような小さな変化はあるかもしれません。しかし、人類全体でみれば、 発展途上の国のまだ硬いものを食べている中ではおそらく顎の形状についてそんなに大きな変化が無いわけで、要は35万年の間、私たちヒトを取り囲む環境は変化してきたものの、 ヒトの生態事態は大きな変化が無いわけです。
 そんな中、蒸気機関が発明されてからのここ数百年の間、ヒトを取り囲む世界、社会は激変しました。生物の発生の歴史の一年暦から見ると、ホモ・サピエンス・サピエンスの誕生が[12月31日23:14]、 農耕技術などの導入とか文明が始まったのが[12月31日23:59]、蒸気機関の発明に起因する産業革命に至っては[12月31日23:59 58s]と、ものすごい短時間の間に環境が変化しているわけです。  環境の変化の時間あたりの微分値たるものものすごい数字になります。
 この様な外界の変化が起こると、私たちの体においては想定外の事象が多々発生して、以下のような許容オーバーが発生します。これが、新しい環境に対する病というわけです。ここでは、 進化の時間軸を例えに大げさに表現しましたが、海外旅行で生まれ育った環境と全く異なるところに出かけたりしてもこれは起こります。中には国内の引越しであっても、 生まれ故郷の環境から離れて体の調子を崩す人がいるのです。

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−遺伝子−

 現在も新聞記事などで、“○○病の原因となる遺伝子発見”と大きな記事になることがあるが、私たちが今日に至る進化の中で淘汰されて引き継がれてきた遺伝子のトリックが病気の原因となることがあります。 参考文献(病気はなぜ、あるのか)においては、以下のような事例が取り上げられています。
 ―注意― 参考文献においては数々の論文などをもとに、遺伝子の働きにより以下の事例が起こりえることとして記載されています。以下の原因を立証された単一的な要因として取り上げていませんので、 誤解が無いように解釈して下さい。(これだけ科学が進んでいても、体や病気の仕組みについては不明な部分の方が多いのが実情のようです。)

☆☆☆ 近視の原因となる遺伝子 ☆☆☆
 近視になるかならないかの一因として、遺伝によるものが多いことがわかっています。これは、赤ん坊の時に養子になった人の視力などのその人の特徴や、かかる病気の発生率が、育った環境よりも生物学的な家族 (実際の両親)の方に似ているという統計的データから立証されています。
 近視のメカニズムとして、科学者の研究[参考文献の参照先:The New England Journal of Medicine, 312:1609-15(1985)、The Myopias (Philadelphia: Harper & Row, 1988)など。詳細は“病気はなぜ、あるのか”を 参照ください。(ちなみに本HPの筆者はこれら参考文献を直接読んでいません。)]から幼年期の眼球の成長と、成長期に実際に見る映像の影響を受けることが分かっているそうです。
 これら研究により、近視は眼球の奥行き方向の大きさが成長しすぎてしまうために、水晶体の調整範囲を超えて焦点が合わなくなってしまうことが一因となることがわかっています。 (ヒトの目の仕組みについては、本HPの“体の健康について学ぶ”の感覚系の視覚に関するリンクを参照ください。すこしイメージしやすくなります。) 幼年期は色々な器官が成長途上となりますが、 眼球においても例外ではありません。幼年期の眼球の成長過程においても、視覚系は目で捉える映像をしっかりと焦点を合わせて中枢神経に伝えなければなりません。 一方成長をつかさどる中枢の方は、網膜にぼやけた像が投影されると、成長因子という形でフィードバックをかけ、眼球を成長させます。 すると、幼年期にある部分だけぼやけた像が網膜に投影されるような像を 頻繁に見るような環境におくと、そのぼやけた像が投影される部分だけ眼球が成長し乱視という結果になり、小さい文字の本を頻繁に読んだり、目の近くでの作業を頻繁にしたりすると近視になるというわけです。
 近視はこの成長因子がどれくらい敏感に働くかという遺伝子の持つ個人の特性と、幼年期にどのような像を見て生活するかという、遺伝的、環境的双方の要因を強く受けるものなのです。

☆☆☆ 鎌状赤血球血症 ☆☆☆
 鎌状赤血球血症とは? 私も聞いたことありませんでしたが、これについてはこのリンク を参照願います。リンク先には、この病気を持ったヒトの血液の電子顕微鏡写真が載っています。
 この病気は、血液中の赤血球が前記のリンク先の写真のような鎌状になってしまい、血液循環に支障をきたして貧血、出血、微少血管閉塞などになってしまうというものです。
 この病気を持つヒトは、マラリアの流行域に多く、特定の地域においては有益でもある遺伝子により引き起こされる病気の古典的な例として知られています。
 鎌状赤血球を持つヒトがマラリア原虫に感染して原虫が赤血球内に侵入しても、鎌状赤血球は正常な赤血球よりも早く溶血してしまうために原虫が増殖できず、マラリアから守られることになります。
 鎌状赤血球の遺伝子とマラリアの流行の関係は、自然淘汰による進化を裏付ける事例としてよく知られています。ヒトにとって鎌状赤血球の遺伝形質自体は保有者の生存に不利であるが、 マラリア蔓延の元ではその遺伝子をヘテロに持つものは有利に働くため、総体としてこの遺伝子が有利に働くために現在も存在するものとして考えられています。

−参考−
 ここでの説明で、ヘテロという言葉が出ましたが、これは父方、母方の遺伝子が結合する際にある特定の性質を発現する遺伝子が同型(ホモ)であるか、異型(ヘテロ)であるかということです。
 たとえば鎌状赤血球を発現する遺伝子をA、発現しない遺伝子をaとすると、父方、母方ともにA、またはaだった場合に生まれ来る子は、ホモ接合型となります。不幸なことにAAとなった場合は、 鎌状赤血球の影響が強く現れ、貧血、出血、微少血管閉塞などの症状が常時発現して成人までに殆ど死んでしまいます。また、aaだった場合は、鎌状赤血球が発現しませんが、 マラリアの蔓延地域においてはマラリアにかかる危険が増します。これに対し、Aa、aAとなった場合がヘテロ接合型で、鎌状赤血球の影響が弱く現れます。日常の生活においては影響が無く、 血中の酸素分圧が低下した際に貧血等の症状が現れます。激しい運動に支障をきたす等の不利な点がありますが、マラリアにかかるリスクが低下します。

 ここでは、上記の2例を紹介しましたが、私達が持つ遺伝子とそれを取り囲む環境によって遺伝子が有益になったり、逆に不利益をもたらす結果になることがわかります。その人が暮らす環境によっても有益、 不利益は左右されるし、“病気はなぜ、あるのか”の筆者は「正常なヒトの遺伝子は存在するのか?」という疑問さえ抱いています。また、「人間は、多くの遺伝子を共有している一方、私たちの遺伝子は様々に異なる。 理想のタイプが一つあるのではなく、さまざまなヒトの遺伝子を表現している多くのさまざまな表現型があるのみである。それは、多種多様な環境で、自分自身の複製を次世代に伝えるために競い合っているのだ。」 と遺伝子と病気の章をしめくくっていますが、私は、確かにその通りと納得できます。

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−設計上の妥協と進化の遺産−

 ヒトが進化の過程で選択し、遺伝情報として保存されてきた主要な構造的変化の中には、おかれた環境に適応するために有利な点がある反面、それに伴う損失もあわせ持っています。
 例えば私たちヒトは、直立歩行をする能力を手に入れ、手で道具を使ったり、食料を運んだり、赤ん坊を抱えて移動することが出来るようになったが、同時に腰に過負荷がかかるという問題も発生しました。 体の設計上の誤りと思える裏には、その誤りがある故に手に入れた有益な部分があります。私たちヒトの体のつくりはこの様な有益、不利益の妥協の産物であって、当然のごとく妥協点から逸脱したライフスタイルや 環境下においては不調を生じても仕方が無いのが実態のようです。
 進化のからくりを背景とした私達の体の特性として、上記の設計上の妥協の話に加えて“進化の遺産”もあります。進化の過程における自然淘汰は、ある状態からある状態へと進化した結果がその環境に適応していれば 後世に残り、不適ならば絶するという格好で起こります。つまり、現存の姿というのは過去起こってきた進化の遺産をしっかり引き継いでいる訳です。 (参考文献ではトラックの燃料タンクの設置位置を例えて説明していましたのでここでも参考にさせてもらいますが...)例えるとこんな感じです。ある会社が販売するトラックが事故を起こし、 その事故の衝撃で燃料タンクが破損して漏れた燃料に引火し、爆発炎上!といった事態を招きました。そのトラックは燃料タンクを車の側部に配置していたので側部からの衝突の衝撃に弱く、 上記のような事態に繋がってしまいました。会社のエンジニアは対策のために燃料タンクの位置を変更したいのですが、もともとこのトラックの燃料タンクの取り付け位置もやたらめったら決められた訳ではありません。 トラックの車軸、ドライブのシャフト、ギア位置、重心、等等のたくさんの要因を鑑みてその場所というように決まってきたはずです。これら背景からいくら事故が起こったからといっても、 燃料タンクの位置を劇的に変えようとする試みは大変難しいものとなります。変えることによって、それまで様々なノウハウから現状に至った他の部分に大きな影響を及ぼしてしまうからです。 全体を構成する一つの一つの機構は、全体としてうまく機能するようにその時々で最適化や妥協がなされた改善を重ねた姿になっており、これが進化の遺産というものです。
 ヒトもこれと同様の遺産を有しており、“これが理想的な器官のあるべき姿だ”ということがわかっていてもヒトという種がゼロから再構成されない限りは変えることが出来ません。
 腰痛撲滅!といきたいところですが、どうしようも無いんですね。それよりも、痛くしないためにはどうしたらいいか?を考えていくしかないとは、設計業務を行ってきた私にとってはなんとも歯がゆいものです。

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◆まとめ(暫定版)

 本章では、病気発生のメカニズムとして、特定の病気がなぜ起こるのか?という局所的な事例ではなく、地球上に住む生き物としてヒトを捉えたときに、 どういう原因から病気になるのかという視点で文章を構成してきました。
 結論から言ってしまうと、病気がなぜ起こるのか?という疑問については、起こるべきして起こると言いざるを得ないとうのが筆者の考えです。この地球というフィールドで生物として生まれて生きている以上、 必ず次のような事象と面と向かわざるを得ず、これが私達をはじめとする生物としての宿命なんだなと感じました。

@軍拡戦争
 ヒトもそうだが、すべての生物が、生物の三大欲求の追及のため、手段を選ばず競い合っている。小学校の理科で習う食物連鎖が、各々の生物の競争の結果がバランスを保っているいい例として挙げられるが、 取り上げる生物を細菌、ウィルスまで広げてみると感染症という病気の概念となって現れる。
A環境の変化
 生物間の軍拡戦争の結果、ある生物の個体数等に変化が生じたり、地球自身の環境の変化が加わると、生物はその環境に適応していかなければならない。適応できなければ死に至るし、 適応しても環境の変化が止まることが無い。よって生物は常に新たな環境に適応し、進化していかなければならない。
B進化の継承
 ある時点での生物の特徴は、子孫を残すことで遺伝子という格納庫に情報を格納して構成に継承される。ある部分に突然変異などが生じてもベースとなる情報は基本的に変わらない。 はじめからやり直しというリセットは出来ない。このために、前世で構築された利点も欠点も後世に引き継がれ、後世はそこから新たな創造を行う必要がある。

 ある病気を克服しても、新たな病気は生まれるし、環境が変わり自ら適応できなくなれば病気になるし、生きている=病気になる と結論づけても過言ではないと思います。
 裏を返すと、「生きている間は、完璧な健康はありえない!」ということになるのでしょうか...


−余談−
 ヒトの知恵というのはすごいと思います。ここ200年ぐらいの科学の発展によって世界が一変しましたが、医療の分野においても科学的な技術革新が取り入れられています。細菌やウィルスの存在が明らかになって、 抗生物質、抗菌剤やワクチンといった生物の軍拡戦争対策のツールを手に入れた結果、現代医療の発展している地域においては、感染症=死という恐怖さえ感じていない人が殆どだと思います。 (もちろん、今でさえも死に至る恐ろしい病原体は多々ありますが、薬の発展や衛生面の向上に伴いヒトに害を及ぼす細菌類の排除や防衛策がとられて、ヒトにとって住みやすい環境が構築されています。)
 一方、航空機や物流が世界的となって、私たちは昔では考えられない環境の変化や、生活習慣の変化を体験するようになりました。最近では海外に滞在中に重篤な症状に転じる細菌に感染したり、 生活習慣から自らの体を壊してしまったりと、新たな問題に直面しているようです。
 本章で述べた内容は、最近ニュースにおいて取り上げられる科学を駆使した医療の話題とは異なりますが、ヒトも地球上の一生物であるという紛れもない事実から最善は何か?考えるときには非常に大切な事柄であると 私は思います。
 ヒトが繰りなす技術の発展は、ヒトにとって有益なことと思いますが、生物のしくみや、ヒトのしくみなどを踏まえて考えてみると、そもそも“有益”と判断しているのは誰?体のどこ?という疑問がわいてきます。 また、技術の発展と社会の変化は、仕事が忙しいから結婚もしたくないし子供もほしくないと思う思考、人生疲れたと自ら命を絶つ行為、などなど、生物が遂行する三大欲求(@子供がほしい、A飯が食いたい、 B長生きしたい)からかけ離れた行動の原因になっているのかも、と思ったりもします。
 病気のメカニズムを考えることで、逆にヒトが“生きる”とはどういうことか?という疑問もわいてきます。後々追記していきたいと思います。


◆コメント

 本章では、病気発生のメカニズムにおいて、ヒトを一生物として捕らえたときの総論的な書き方をしました。
色々な病気に関する各論的な部分は、様々な専門家によって公開されています。 本HPにおいても、メインテーマとしている癌をはじめ、色々な病気について、今後追記していこうと思っています。

◆工事中

 −工事中− いろいろな病気の発現メカニズムについて説明を追記する予定です。



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